1986年に植えた種に花は咲くのだろうか?

たまに自分の話も。

何かある度に、タフになろうだとか、強くならなきゃって思うんだけど、実際どうなの?
いまいち変わった気がしない。FFみたいにレベルアップを教えてくれればいいのにね。
まあ、それでも10代の頃よりは成長したと思うし、今ならデコピンでスライムを倒せるくらいだとは思う。あ、ゴブリンでいいのか、ここは。
本当の意味での強さを身に付けようとここ最近心掛けているけど、なかなかうまくいかない。
でも、強さは無いけど、基軸はある。これはもう3、4年前には出来上がっていたような気がする。
この基軸の正体は意外かもしれないけど、マイナス思考。
そう、出発点はマイナス思考。もちろんゴールはポジティブなものにしたいけれども。
まず、人生は悪いことばかりなんだから、あまり多くを期待しない。
だってそうでしょ?恋に落ちた2人はどうゆう形であれいつか別れるし、どんな素敵な人生を送っていても、人はいつか死ぬ。
これほど悲しいことは無い。これほど絶望的なことは無い。人生は悲劇だ。
人はいずれ死ぬ。誰もが死に向かう列車の中にいる。
ここで列車の中にいる自分を想像してみる。どんな気持ちだろう?
とにかく想像してみる。何をするのだろう?
俺は列車を走らせるために一生懸命になったりしないだろう、と。
勝手に停まる時は停まるだろうし、事故る時は事故る。それはどうにもならない。
それなら、外の景色を楽しんだ方がいいと考える。
どうにもならないから。走ることに意味なんて無いから。

だから根本はマイナス思考。イメージするなら、絶望という種を植えて、希望という花を咲かせようということ。
でもね、花は咲かないという前提で生きるトレーニングを積んできたんだよね。
まあ、それが結果的にたまたまうまくいったんだけどね。ラッキーなだけ。
花は咲かないという思想が自分に根付くとかなり景色が鮮明になってくる。
花は咲かないはずなのに、彼女出来たじゃん俺!だとか、馬券が当たったよ!だとか、いいことがものすごくいいことに思えてくるわけ。
仮に悪いことが起こっても、花は枯れるって知ってるよって言い張れる。

こうやって鍛えてきた理論にも欠点がある。
台風がやってきた時にどうするか?という問題。
柔らかく言うと、本物の絶望がやってきた時にどうするか?ということ。
本物の絶望とは何か?それは一番大切なものを失うということ。
では、人生において一番大切なものは何か?俺が考えるに3つだ。
家族、親友、そして健康だ。
残念ながらこれらを失った時に、俺はどうなってしまうのか自分でも見当がつかない。
鍛えるしかないのかね。武器はやっぱりエクスカリバーかね。

と、簡単に自己分析をしてみました。

あと最近、死を意識するというトレーニングも実践している。
無理矢理にでも死を自分に近づけてみると、まだまだこの世界に未練があるんだなあと感じる。
あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい〜♪
それに人に優しく接することが出来るという新しいメリットも発見した。
死んで、何であの時あの人に優しく出来なかったんだろうって後悔しても仕方ないしょ。
アイツ嫌なとこあるけど、実はいい奴じゃん。とかね。
まあ、俺はまだまだ未熟だから、感情のままに行動してしまうことが多いけれども。