プライド

一昨日の授業での出来事。面接の練習をした。
まず第一に、面接の練習なんてものは役に立たないと思っている。
本番とは明らかに雰囲気が違う。いくら回答を用意していても、予想外の質問をされて言葉が浮かんでこないのがオチだ。
心配しなくても面接にはその人の現時点での実力が出るだろう。
人事の人も仕事だ。遊びでやってるわけじゃない。付け焼刃かどうかくらい見抜けるだろう。
まあ、その話はとりあえずおいておこう。問題なのはその授業の先生だ。
面接の練習をさせるのはいい。最低限の作法を身に付けさせることは必要だ。そりゃあそうだ。
役に立たないと言ったのは練習をすれば本番もうまくいくと得意気な顔をしている人がいるからだ。
だからさせるのは歓迎だ。でもちゃんとやってくれ。
先生がきちんとした明確な基準がわからない、生徒に答えを求める、では授業として成り立たないだろう。
「失礼します」「失礼しました」どっちがいいんだ?
って、生徒はそれを教わりに来ているんだろう。先生はそれを教えに来てるんだろう。
学校に来て、適当なこと言って、適当に時間を過ごして、コンビニのアルバイトじゃあ到底稼げないような給料を貰う。
自分の仕事にプライドが無さ過ぎやしないか?
俺は自分の仕事にプライドが無い奴が嫌いだ。遊びじゃない。お金を貰ってるんだ。
怠けているんだな、きっと。一度その地位を得れば、女子生徒のお尻を触ったりしない限りクビにはならない。まあ、それでも触る不届き者も世の中にはいるが。

大体この学校はどうなってる?面接を指導できる先生もいないのか。大学だぞ?
いないなら、募集要項に就職試験における面接を指導できる先生はいません、面接の練習は各人でやって下さい、と書くべきだ。
書かないとすれば詐欺だ。立派な詐欺だ。
親は何百万という授業料を払って子供を学校に通わせている。
中には奨学金制度を利用し、自分で授業料を払う立派な者もいるだろう。
いずれにしても莫大なお金だ。一人前の社会人が毎日汗水垂らして一年間働いて、ようやく手に出来るお金だ。
生徒も生徒だ。なぜそんな大金が掛かっているのにも関わらず、その授業内容に対して疑問を感じない?
中にはもちろん怒りをあらわにしていた者もいた。
真剣味を欠いている者は、適当に時間を過ごし、終わったら親からの仕送りで勝てもしないパチンコやらスロットに出かける。愚行だ。
授業料に対して実感が湧かないのはまだわかる。
自分が払ってないわけだし、俺も昔そうだった。そのことをとても恥じているが。
まあ、自分の子供が学校に通う頃になれば気付くだろう。
問題はその仕送りについてだ。余程の金持ちなのかは知らないが、毎月10万だとか20万だとか大金が実家から送られて来る生徒が何人かいる。
そして毎月のようにパチンコやらスロットに行き当然の如く負けていく。
余程お金の価値がわからないらしい。親の金ならどうでもいいのか。
暇ならアルバイトでもすればいい。自分で稼いだお金でパチンコをすればいい。
そして負けたらお金の価値がわかる。
1ヶ月間、自分の時間を費やして、嫌な客に我慢して笑顔を振りまいて稼いだお金を腹を空かしたペットに餌をやるかの如くパチンコ台にものの数時間で与えてしまう。
そこまですれば、どんな馬鹿でもお金の価値がわかるだろう。
そして本当にパチスロが好きなら、今までよりも真剣にやるだろう。
何もパチスロをやることを否定しているのではない。いい加減にやるな、と言っているのだ。
何度か一緒に行ったことがあるが、打ち方はいい加減そのもの。
いい加減に座って、出たらラッキー。負けたら次の仕送り支給日まで待つ。店の思うツボだ。
そんなんで勝てるわけないだろう。勝っても自慢するな。たまたまだ。
昔スロットで生活していたという知人にその頃の話を聞いたことがあるが、真剣そのものだったし俺にはとても出来ないな、と思った。
台についての勉強をし、店に通い、店の癖をつかみ、狙い台を定め、その台を取るために、真冬だろうがなんだろうが日も出てない時間から並ぶ。
真剣だ。親の金でいい加減に打ってるや奴らとは違う。
立派な話だった。きちんとした授業も出来ない先生よりもよっぽど自分の仕事にプライドを持ってやっていたのだ。

俺はパチスロはやらないが、競馬はやる。競馬が好きだからだ。
馬券を買って当てるのも好きだし、馬が走っている姿も好きだ。
好きだからこそ勝ちたい。負けてヘラヘラしてる奴らとは違う。
趣味だからこそ真剣に取り組む。負けたら復習する。次への対策を立てる。
負けたらお金を失うんだ。当然だ。
先からお金お金うるさいなと思うかもしれない。お金の価値をわかっていない奴が多すぎるからだ。
俺は人生においてお金がそこまで大事なものだと思わないが、それはお金の価値をわかっている前提の話である。
俺は競馬に対して真剣に取り組んだ結果、馬券は当たるようになり少しずつだが自分の予想に自信とプライドを持てるようになった。